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2005年2月28日

やっと終了

 こういったブログのやり方も、もう少し変えていかないといけないのかもしれないな、と最近思った。他の人みたく、写真をすえて、それについて書くとか。それくらい、楽ーにしていくと、もっと何時でも書けるものになるのかもね。今の状態だと、自分で書けるタイミングとか、書けるバイオリズムとか、そんなものを見つけようと、ばかりしてる気がするし。
 でも一方で、その日の出来事などを、ギュッと文章に押し込めて、ドバット出したい、気持ちもある。ただ、これという出来事がない時とかは、逡巡してしまうのも確か。
 今日は確かに色々な人がブログやビデオチャットに出てきて、面白い一日ではあった。刺激的というか、パソコンを通してビシビシくる感じがよかったんだよね。
 探しているCDがなかった、というか壊れていた。
 やっと三月になろうとしている。冬が終わるのではない。春は我国にとっては、色々なことの始まりの季節なんだ。
 これからはもう少しブログも軽~く書けるようになればいい。もう春ですよね。

2005年2月26日

春と冬

 なんとか投稿っ、という感じになってきた。また仮眠するつもりが、豪快に眠ってしまった。十時間は眠り込んでいたのではないだろうか。お陰で喉がカラカラだ。
 まあこういうことはちょくちょくあるものだから、そういう時はブログを起きて直ぐに書くのがコツだ。

 一日というものが短い、というよりも、時間の無駄遣いは禁物だ。最近は食後にTVを点けてしまうことが多く、特に昨日は朝生をやっていたりして、時間を使ってしまった。
 おかげで時間かなくなり、その後の作業が後ろへ後ろへとずれ込んでしまい、ブログに充てる時間が消し飛んでしまった。どこぞの社長ログにもあるように、これって書くのに結構時間が掛るんですよねー。
 
 でも、パソコンの作業、っておかしな程にへとへとになるね。傍から見れば、単にじっとしてるだけで、場合によっちゃあ、何もしとらんな、と映るかもしれんじゃろにね。

 まあ、でもお陰で、この冬は何とか風邪を引かずに済みそう。一旦引くと中々治らないので。睡眠時間を沢山取ること、沢山食べること、沢山水分を取ること、などなど、まあまあ。
 でも、インフルエンザ、例年より遅く流行りだしてきてるみたいなので、油断は禁物だけどね。ここ数日、また極端に気温が下がってきて、来週にはもう一回、零度を下回る日が来るらしいし。
 
 まあ、例年春先って、こんな風に気候が激しく入れ替わってきていたような気がする。徐々になんて言ってられない。当に春と冬とがガチンコで闘っているかのよう。
 

2005年2月25日

 うまい具合に仮眠が取れた。夜通しというか徹夜というか、で作業をしていた。まあブログまで手が回らなくなるところだったが、奇跡的にうまい具合に仮眠になった。音楽を聞きながら、殆ど眠りかけていたのだが、途中で、音楽の掛り具合がおかしくなってきたのだ。そこでパソコンを見て調べる。やたらと重くなってきている。うまい具合に回線を切断できない。強引にランケーブルを抜き、タスクマネージャからプロセスの終了で、一つ一つプログラムを終了させ、やっと元通りに。原因は結局分からず。
 気になっていたことの一つで、ようやく洗面所に行き、歯を磨く。寝る前にしっかり磨かないと、他に中々磨けていない。

 今聞いてる音楽ではなかなかクリエイティブな気分になれないので変える。眠くないと言うと嘘になる。昨夜は中々だった。
そうそう書くことがあるわけではないなぁ。まあそれもいいのだ。お湯割りした、アメリカンコーヒーを飲んだ。昔々、カフェでバイトしていた時、そこはアメリカンの注文があると、普通のコーヒーをお湯割していた。
 数年前にその店に行った時、完全に内装も何もかも変わっていた。店長さんも、十数年歳を増した人だと想像していたら違った。別の人かどうかすら見極めが付かなかった。店の名前だけが同じだった。だから懐かしさとかそんなものはゼロだった。
 最近、煎餅のようなものを食べていない。近い内に食べたいが、煎餅ってどこに売ってるのだろう。

2005年2月24日

詩的、か

 ポエジーとかについて書いてみたかった。病み上がりとか、いや、どんなときでも、誰もが腑と、ポウエテッィク--詩的な--気分になることはあるはずだ。
 そんなことでも、否定せずに何らかの形に表そうとすること。そこにはきっと表現が生まれる。
 今ある--ブログ--、無数に発生してきた。
 これは極めて多くの人に、表現の機会を与えた。ある人は絵を描いて、ある人は字を描いて、載せ、またある人は写真を、そして音楽を、文章を。
 尽きることはない。そして、ここへ来てようやく、技術が技術から開放され、多くの人はそれを意識せずに使うことができるようになってきた。

 そして、偶に、ふっと共感できるのは、何故か各々の作者が、詩的な気分で書き表したもの。意識してかせずか。偶然か。見えざるもの、だけど共通しているもの。それは遠く離れた、まったく別の音でも、周波数が合えば、共鳴してしまうのに似て。
 
 それはその人そのものが出てきたように。でもだから、きっとまた会えるよ、どこかで必ず、と思ってしまう。場所とか空間とか関係ない。無数の人が行き交う、地下鉄の駅や、交差点ですら、ふっと何故か見極められるのは、そのせい。周波数。合えば、近付いてくるのが不意に分かる。

2005年2月23日

狭間で

 何かが一歩だけ動いた。そんな一日だった。夜明けの時間の群青色の明るさが結構好きだ。時間と共に徐々に色が薄まってゆく。まあ新しい一日が始まる。ゴクリと熱いコーヒーを飲み、ゆるりとした時間を過ごす。
 英語でドーンとかデイブレイクとかいうそんな時間帯。

 部屋の明かりは消し、明るくなり過ぎたから、カーテンを閉める。時間の流れは音楽で確認する。ストーブはこの冬最後の頑張りとばかりに部屋を暖めてくれている。野球の選手の練習に熱が入ってきて、あぁ、春になるんだな、と実感してきている。
 今日は不思議にも全く眠くない。寧ろ冴えている。と言いつつ、欠伸が出た。夜食も要らない。だがさっきバナナを一本食べた。かなりでかかった。バナナってなんで大きさが、こんなにもまちまちなんだろう、と思ったりしていた。コーヒーにバナナが合うのか、某コーヒーショップではバナナ一本八十円で売っていたが。ウィンナーコーヒーならあるが、バナナコーヒーは・・・。
 今年は、というとあれだが、野球を見るだけじゃなくしてみたい。もちろん、打ち取る自信は今の所ないが。想像では、変化球が面白いように決まって、打者が三振したりしている。といっても、カーブすらままならないが。昔はほんの狭い空き地でやったものだが、それでもえらく楽しかった。
 
 まあ、想像とか回想は尽きることがない。今はまだ、懸命に部屋を暖めているストーブの気流の音で我に返った。
 わるくない。どこが優勝するにしろ、一挙手一投足だ。

2005年2月22日

そうだよな

 結構眠い。徹夜で要らんことしてた。あかんあかん。
 ったく、コンピュータの言語って、人間の言語と全くカンケーあれへんなぁ。
 時間だけが虚しく流れていく。ほんまにこんなもんが世の中を支配するようになってえーのんか、とちょっと疑問になるしまた怖くもなる。
 ちょっと他のブログで、パソコンの前に座っていただけで、エコノミークラス症候群になった人がいるらしいが、こんなにじっとしていてはあかんと正直思たな。
 夜食にはまたご飯+海苔+梅干だった。今はそれからも随分と時間が経って、またコーヒーの世話になったりしている。眠気覚ましだが。幾らコンピュータの言語が発展しようが、ブログだけは書こうと思っている。人間の言葉で書かれた本をもっと大量に読まねばならない。当たり前だ。だが、ここんとこまた、そうではない機械語に脳味噌を侵されている。
 寝るのは寝るでいい。しばらくサボっていた付けが回ってきたかんじだ。だけど、まあこれからはもっとスムーズにことが運ぶだろう。

2005年2月21日

夜食

 パソコンが極端に重いのが気になる。空き容量が減ってきているからだろうか。今日も取り立てて出来事があるようではなかった。ただ、腹痛がかなり長い時間続いた。冬場の腹痛は、単に冷えているだけなのか、それとも何かの食中りか、よくわからない。さすがに今日は正露丸の世話になった。お陰で夜食を沢山食べることが出来た。今日は白飯に、海苔だった。どちらもそれなりのものだったようで、美味かった。
 あるサイトでおっさんと呼ばれる人の話しを聞いていて、時間が経ってしまった。でも、今日は眠ってしまわずに、このログを書くためにちゃんと起きてきている。その日の出来事は、その日の内に書き出してしまう必要がある。そうでなければ、自分でもよく分からない場所に勝手に蓄積してしまって、いつの間にか不可解な形でのストレスになったりする。
 まあそうではなくてもちゃんと見極めるという点でもいいのだろう。おっさんの話を聞いていて、本を読んでいる状態に近いと思った。そして、なんで本を読む時間をわざわざ定期的に取っているのかも、自覚できた。
 まあ、そうやって、他人の考えをダダダダダタダッと機関銃のように、ある程度入れていくことによって、きっと自分の思考を相対化できるのだ。よくいう、他人を自分の鏡として見ること。そこから跳ね返ってくる自分像とでも言うのだろうか。
 まあ、本を読むことでもそうだが、場所と時間が要る。よく行っていた図書館は工事中なので、今行ける場所といえば、カフェくらいだ。その点も、ちょっとしたストレスになっているのかもしれない。
 今日は腹痛が長く続いたせいで、風呂に入りそびれた。暖めすぎるのもよくないのだ。
 幸い、夜食を腹いっぱい食べたので、眠るのには支障はないが。
 不思議なことに、こうしてちゃんと使っていると、パソコンの発熱が抑えられている。寧ろ放置していた時の方が発熱している。何か調子がおかしい。やはり、空き容量を増やして、カーネルメモリとやらをちゃんと動かさないといけないのだろう。
 それにしても海苔ごはん、うまかったなー。多分、ごはんを電子レンジで思いっきり温めたのがよかったのだろうな。ごはんで舌がやけどしそうになったのは、はじめてかも。お茶で強烈に流し込んだけどね。
 やっぱり日本人なのかな。ラーメンばかりでは駄目だ、とか思っていたしね。
 玉子賭けご飯はまた食べる。家では、最近はいい卵を少量買うようになって来ているので、週の前半には卵があるが、後半にはない。前は一番安いものを買っていたのか、逆に卵を余らせていたからなぁ。海苔も入ったことだし、まだまだ寒いので、また玉子賭けご飯が夜食に入ってくるのだろうね。

2005年2月20日

寒でも

 例によって書くことは全くありません。最近は、風邪も流行ってきているみたいなので、不必要な外出は極力避けているし、人の集まるような所は特に行かないようにしている。都会ではマナーが悪く、またわざとなのか、と思わせるほど、人に向かって咳をする人もいる。信号待ちとかしている時が特に危険。だから、敢えてじっとせずに、信号が変わるなー、くらいで歩いてるのがいい。
 でも、まあそんなしょうもないことを思い出してもしようがない。
 部屋ではやたらと水分を取るようにしている。というか気がついたら摂っている。夜食には味噌ラーメンを食べたのだが、その後の手持ちぶたさもあって、緑茶を飲んでいる。これがウマーなのだ。最近は食事中でも、特に飲むお茶の量が増えてきている。
 冬場は一度眠ると、ホントに眠り扱けるように眠ってしまう。だからおかしな夢も見ない。でも、風邪を引いたりしたらサイアク。必ずおかしな夢を見る。よく見たのが、昔、家にあったコタツ布団の絵柄の夢。人形の絵が描いてあるのだが、それがガッガッガッガッと動き出すのだ。熱でうなされてるので、眠ってるのか覚めているのか分からないまま見ているので、余計に不気味だったりする。
 関西、というか近畿圏でいると、ここ数年は特に、温暖化の影響を感じる。まあ、その分、おかしな風邪も流行りにくいのは確かだが。でも、その分をチャラにしてしまうくらい、今年は灯油の値段が上がっている。去年の二割増しだ。
 夜明けの時間が段々と早くなってきている。この時間帯の窓硝子の色付き具合が結構、好きだったりする。とりあえず、凍えるということはなくなってきている。早く二月よ終われ。

2005年2月19日

冬空

少しだけ、と思った転寝のつもりが、強烈な朝陽に目が覚める。多分転寝ではすまないだろうな、とかは思ってたけど。だから、風邪も引かないようにちゃんと布団と毛布を被っていたけど。二月の寒さってなんか不健全、不健康。
 昨夜は、まあ初めてネトラジというものを聞いていた。掲示板と連動してやっているようだった。話してる人は中学生の女の子らしいが。なんにせよ、そんなものを聞いていて眠ってしまった。
 朝起きて、聴いてるのはグルードのゴルドベルク変奏曲。一曲目から後、かなりアップテンポになってきていて、あれ、こんなのだっけ、と少し外れた。
 夜食にラーメンを食べたのに妙に空腹だ。しばらくは寒いだけの日が続くのかな、とか思っている。
 

2005年2月18日

二月って

 風呂に入っていた時、何か色々とぼんやりと考えていた。
 二月は逃げるというが、実は長いじゃないか。考えてみれば、二月というのは、一年の内でも、もっとも変化のない月ではないか。ただ単に寒いだけだ。
 夏場なら、八月の次の九月は、暑くても、残暑と呼ばれる。また、いい加減秋だよな、とか感じさせられるものだ。一転して二月はどうか。残寒などという言葉があるのかないのか分からないし、またいい加減春だよな、とかはまだまだ思えない。
 去年は、閏年でオリンピックイヤーだった。で、今季はなにもない。よく、オリンピックは四年に一回だ、とかいうけど、それは個別の競技者にとって。見る側からしてみれば、実はオリンピックは二年に一回なのだ。つまり何が言いたいかというと、来年はオリンピックなのだ。いつも、夏季オリンピックのあった次の冬は、妙にものさびしい、というよりも、これという記憶がなくて、飛んでいる。
 だから、今年の冬は何にもない。何にもない、何にもない、全く何にもない♪とそんな歌があった気がする。
 まあいいや。

2005年2月17日

音楽

 戦メリとか聴きながら、もうすぐ書くべき時間だとか思った。
 今日はジャズについて書こうとしていた。数日間クラッシックを聴こうとしていていて、またジャズに戻ってきていた。ジャズはいい加減でいい音楽だと思った。クラッシックのような厳格なルールはないようだ。フォルテとかフォルテッシモとか、そんなのあるのだろうかと思ってしまう。あったとしても、演奏している時の気分でどんどん変更して行ってる気がする。また、更には弾き間違いのようなものですら、演奏の彩のようにも思えてくる。
 かくいうクラッシックはフォルテとフォルテッシモとを取り違えると、それはもう大問題で、その演奏そのものが失格だとかいわれかねない。まあ、それでも演奏家により違いがあり、可変な部分もある。よくわからないが、完成された美、といった感じだ。
 自堕落でいい加減な性格なので、本来は向かないのかもしれないが。それでも以前はよく聴いていたし、多分また聴くのだろう。それは、美、という一点にしてみれば、適うものは他にないわけだし、確かにうっとりしてくる、恍惚とする気分になることもある。
 まあ文学とかに絡めると、太宰治と三島由紀夫みたいなものだろう。かく言う今は、三島の方を読んでいたりする。厳密に計算しつくされた文体に話し。

 今日は久し振りに働いた気がした。昔、はたらいたに三千点、とかあったっけ。

2005年2月16日

もういいよ

 歳を取れば取るほどに、外国の習慣にどやこやと左右されるのが嫌になる。今日も茶店に居た。時間を忘れて、というほどではないが、本でも読んでいたい気分だった。まあ、通信等を通じて、延々入って来る情報は、どこかでシャットアウトしてねばならない。そういう時は、今の所、コーヒー+音楽+本(小説)が、現状では最強の組み合わせ。
 そう思い、今日は本屋の近くの店にする。可也すいていた。店員はまあ必死で食材も勧めようとしたが、あいにく、夕食後なのと、ショーケースに並んでいる甘いものには、ここんとこ殆ど興味がない。まあ、うまい棒が沢山並んでいたら考えたかもしれんが。でも、コーヒーしか頼まん客ばっかりやったら、とっくに閉店していただろうね。
 席にどかっと座ると本を延々読む。小説は前にもここに書いたもの。二回目だった。余りに何時までも空いているので、この店はそのうちアウトちゃうかと思う。時々客が来ては万札で数百円の買い物をしていく。店側にとっては都合がいいのかわるいのかよくわからん。
 一時間ちょいでコーヒーがなくなる。水をもらい、ぐっと飲み干すと店を出る。
 本屋に寄る。ぶらぶらしている。音楽と商品の紹介のテープがごっちゃに聞こえてくる。またふらふらしていて、あっと思い、本を購入する。『遅れてきた青年』
 こう書くだけで妙にこの文の格が上がってしまう。健三郎氏のエッセーを立ち読みする。中野重治という作家について知る。店内を探して回るがない。あいにく図書館は工事中である。
 もう別に、併設のレンタルショップに行くつもりはない。店の外では、雨が降っている。中学生くらいのが、座って必死で煙草の火を点けようとしている。このくらいでは煙草を吸えばそれが偉いと思うのかも。だが、あいにく雨でライターがしけっていて点かないようだった。ごしゅうしょう様、君には煙草は十年早いよ、と思いつつ駐車場に向かう。
 車に戻るとタッパに入ったお茶をグビグビと飲む。まだ温かく、よみがえった気になる。どこかに立ち寄る気は全くない。カーステのCDは少年ナイフの712だ。スムーズに車を走らせる。途中、バスをバス停で追い越す。信号で停車中、閉店の食堂の外で、一人女の子が突っ立ってる。何だろう、と思いつつ、この店の子かなとか思う。そんな意識も束の間、信号が青に変わり、交差点を突っ切る。住宅街で曲がる。狸だか猪豚だかがよくいた場所なので慎重に車を走らせる。何もいない。
 そこから先の家までははっきり言って自動だ。過ごした時間は二時間余り。712の続きをしばらく聴いている。感傷はまったくない。何だろう。夜なので意識が自分の内側で集中していたのかも。
 あまり考えずに時間が経過していく。

2005年2月15日

カッフェ

 まだまだ夜中だよ、と思っていた。しかし夜明けの時間も早くなってるし、近付いてきていた。廊下の窓を開けると、薄っすらとした茜色だった。眠くはなかったけど、眠りは浅かった。
 数日前のことを書こうとしていた。
 あるいつものカフェに立ち寄った。二時間は居たかった。そこに流れている音楽が好きだったからもある。でも、他の話し、小説やらなんやからに没頭していたかった。ほんの数年前までは、そういった日を週に二、三度は得ることができていた。しかし、最近では月に三、四回になってしまった。そういった二時間とか三時間とかいうまとまった時間の確保が難しくなってきていた。
 その日、そこのカフェは混んでいた。翌日からの連休で、遅くまで遊べる連中が騒いでいたからかも。特に祝日の場合、どんな学校も休みだろう、学生のような輩が多かった。
 こういった場所でコーヒーしか頼まないのはどうかといつも思うが、他に欲しいと思う食材はなかった。店員はとんでもな感じの人だった。でも丁寧には接していた。
 そういや、ここには、ここで一番古い店員よりずっとまえから通っていた。彼等はもう三代目の店員になるのだ。わたしが一番初めにここに来たのは、この店が出来て間もない頃だから、五、六年まえになるはず。それから、少し意識があった丸顔の店員や、その次の美形の店員など、印象に残っている。彼等の名前は、コーヒーを買う時にするサインに残っているが、彼等がその後、どこへ行ったかは知らない。ただ、丸顔の店員は偶に客として来ていて、なにやら勉強していたのを見たことがある。

 コーヒーを飲みながら緩やかな時間を過ごしていた。横にある小さな空き地では、野良猫と呼ぶには奇麗な猫が歩いている。いつもこの辺りに住んでいるようだ。この辺りは商業地区なので、幾らでも猫の餌になるようなものは出てくるのだろう。
 横の席にいる外国人が騒ぎ出す。五月蝿くてなかなか本の内容に集中できなくなる。しかたなく席を変わる。しばらくはやっと集中できる。ただ、本は既に読み終えていたので、二度目を延々と読んでいた。通路代わりになっている場所に強引にテーブルを並べたような場所だ。
 とある店員が通る。わたし、は彼女のことは妙に意識していた。彼女はトイレに用があるようだった。だが、使用中で、しばらく待っているようだった。一分位して、わたしが本から目を上げて不意に彼女の顔を見ると、やっぱり目が合ってしまった。ふっとそらした。彼女も多分今年で卒業だろう。長い間の話や何やかやで京都の大学に通う人らしいことは、耳から聞こえる範囲で知っていた。
 何にせよ、そんな人がもう三代目になる。わたしはまた本の内容に目を落とした。コーヒーが途中でなくなってしまった。あまり来ることがなくなったからと、壊れたタンブラーを買い換えてなかったから。ショートサイズはショートサイズ。ミドルサイズのタンブラーを使っていた時は、常連になったころから、店員はショートサイズでも、よく満タンに入れてくれていた。
 今になって思うのは、今度はタンブラーを買おうということくらいか。その日は、携帯のバッテリーは切れていた。時間が分からなかった。ただ、体内時計や、店内の様子で、閉店時間が近付いてきていることは分かっていた。水をもらいに行く時に、店員に時間を聞いた。もうそろそろ閉店のようだった。
 コーヒーを切らしたから、カフェインも切らした。気持ちは現実の中にかなり戻りつつある。まあまあ帰ることにした。
 客の中には、常連もいた。面白いのはゲイのカップルと思われるのがいることだ。一人はイケメン風のいでたちだが、きっと本人がそう思い込んでるだけだろう。もう一人は妙に小太りだ。彼等が何者かはよく分からない。
 まあ、そんな連中もいる中を店の一番端から、突っ切ってドアを開け、外に出た。流石に寒かった。
 二時間は、本やそんなこんやの別の話しに集中できていただろうから、来る前のストレスのようなものも、少しは整理されていたようだった。わたしはただひたすら歩いた。公園では連休前の夜の余韻に浸っているような連中がいた。

2005年2月14日

やっと復帰

 ブーン、という音がして身構えた。しばらくしてやはりガタガタガタっと辺りが揺れ出した。地震のようだった。しかし、思ったほどは揺れなかった。
 コーヒーをグビッと飲み直した。余震も何もないようだった。
 見るべきか否か、と思っていたページを開いた。彼、のページにはあの件について書いてなかった。あえて触れてなかったのかもしれない。そういや、前回のビックニュースにも触れてなかった。そこには彼、の不退転の心意気が感じられた。
 そうなのだ。どうであれ、僕達は自身の目の前の問題を一つ一つ解決していかざるを得ないのだ。関係のない所で起こったビックニュースに、不用意に左右されていてはいかないのだろう。
 久し振りにバックを聴いていた。多分、近々、クラッシックのアルバムを聴き直す機会が増えてくるだろう。
 

2005年2月13日

書きたい・話したい

 う~む。今まで、ネットの放送を半分寝ながら聞いていた。まあ、仮眠するには、どうしても眠ってしまわないようにする必要があって。
 ネットも含めて、もの凄い、話したい、人って多いと思う。否、思た。何度かネット放送にチャレンジしてみても、本質的に、話したい、というものがなかった。もちろん、誰かと話したい、という欲求はある。しかし、マイクに向かって、いるかいないか分からない人達に向かって、延々話す、というのはどういうことなのだろうと、思った。だから、自分の書いたブログを朗読したりしてみた。
 これに対して、書きたい、読みたいという欲求は、随分と強いようだと思う。でも、読みたい方は、特定の誰かの作品、とかになると、親しい誰かと話してるのに似てきてるのだと思う。
 何時か何時の頃からか、話したいと思うことを書くようになったのかもしれない。すると書きたいと思うようになったのだろう。実際、よく話す人達のブログとか見てみても、沢山書いてあるわけではない場合がほとんどで、文もおざなりなことが多い。まあ、ブログ以前では、よく話す人で文章もよく書く、という人はほとんど見かけたことがない。
 もちろん、今は録音というのが発達してきている。だけど、話しながら、例えば三十秒前に自分が何を言っていたか、確認するのは容易ではない。でも、文章なら、それは一目瞭然だ、ということもある。
 ただ、わたしの場合でいうなら、どこかでターニングポイントがあった記憶がある。つまり話したいことを延々と書いてるうちに、それがその内に、話したいから書きたいにきっとどこかで切り替わってしまった。で、今ではそれが何時だったのかすら忘れてしまい、書きたい、ということになった。
 その一方で、ほんの親しい人、自分のよく知る人、とはやっぱり話したい、という本来の欲求は十分に残っているし、また実際に話してるはずだ。だけど、それ以外の話したいは、消滅はしてなくても、まああまり自覚してない。

2005年2月11日

アメフトて

 アメリカンフットボールネタが出た所で、ここで書きたかったことがあるので書いてみる。

 それはもう、確か、十四、五年位前だろう、その昔、『10ヤードファイト』というゲームが、ゲーセンにあった。そしてそれは、後にも先にも、唯一のゲーセンで得意になったゲームだ。
 「ウォー、ファーストダウン、カツカツカツカツ」と機械訛りの音声を耳の奥の方で覚えていたりする。そして、的の戦形を見て、瞬時に判断して、ジョイスティックを右へ左へ動かして、パスをしたり、ランナーを走らせたりする。走らせてるときの、タッタカタッタカ、という音や、パスを投げたときのシュッ、という時の音まで、よく出来ていて、なぜか今まで覚えてる。
 そして、敵の動きのパターンを読み、パスが通った時や、その後のランなどのわくわく感がある。
 またランナーを走らせる。タッタカタッタカという音で調子に乗る。そしてエンドラインを超える。数秒後、タッチダウン、というこれは人間らしい音が流れた。
 テッテケテケテ。その当時は、まだ色々なテクノ系や、ハウス系の音楽が力があったし、また実際に聞いていたものだ。
 色々なゲームがあったかもしれないが、ゲーム終了後に、ハイスコアーの欄に自分のイニシャルを入力できたのは、きっとこのゲームだけだったろう。三度遣ると、一位から三位まで、全部自分、なんてこともあったのだ。
 また、テトリスやパックマンといったものが得意な連中でも、中々このゲームは上手くいかないのはなぜだろうと、訝ったりもした。実際わたしは、反射神経物のゲームはからっきしだったし、寧ろルールに熟知しているプロ野球ゲームなども、全く駄目だった。ベースボールゲームでは、当時、"永久パターン"ともてはやされた戦法があったようだが、それすらまったくマスターできてなかった。でもおかしいよね、ランナーなしで三塁前にバントすれば、絶対にセーフになるなんて。そんなゲームなんか、ゲーセン側としてどーなとと思たりもしたけど。
 後、陸上物。ボタンを連打する為に、誰かが考え出した、物差しを使う(物差しをボタンの上に置き、弾くことで連打する)やり方によって、その当時幾本のプラスティックの差しを折ってしまったことか。途中から、ゲーセンによってはアルミ製のものをゲーム用に用意してたりもした。
 また、もう二十年は前になるはずだから言うが、コインの返却口から、五円玉を逆流させるというやり方も実はしたことがあるのだ。もちろん、直ぐに対策が講じられて、返却口は特殊なものに切り替えられていたが。
 そんなわけの分からない、ゲーム栄枯盛衰が蘇ってきた。しかし不思議とファミコン以降の家庭ゲーム機には染まらなかったな。もちろんやらなかったわけではないが、対戦物とかで上手く行かなくなると、際限なくやり直してしまい、逆イライラしてしまうのが嫌だったんだろうね。ゲーセンだと、三百円しかなかったら、それ以上はやりたくてもできないし、またお小遣いがなくなるのが嫌で、途中から行かなくなってきたけどね。まあ、上手い奴はいつも百円、二百円で二時間も三時間も遊べたりしたんだろうけど。

 また、アメフトネタでは、次にも書きたい。最初はどうしてもゲームの記憶などがよみがえってしまうが、次には大学のアメフトが、別に自分がやってた分けではないのに、夢中になるほどに面白かったのを覚えている。
 関西では何故かアメフトが人気があり、立命館、京大、関学が3強と呼ばれて、常に優勝争いをしている。ちなみに関東の勝者と年末に日本一決定戦をするのが、『甲子園ボウル』(なぜかボウルと書く。これ不思議)
 そして、ラグビーや野球などと違い、何故かほぼ関西のチームが勝つ。一時期の日大常勝期を除けば。
 その昔はQB東海などが居て、後に立命から千ヤードラッシャーが出たりした。
 何が面白いって、戦術が一プレー一プレー変わることだろう。やれランを選択した、やれパスを選択した。そしてその都度、フォーメーションも変わる。やれショットガンフォーメーションだ、やれウィシュボンだとか。そして、敵の裏を欠いて、ラン独走した時とかも痛快だし、なにより、ロングパスの醍醐味だ。ロングパスは、当たり前の話だが、ショートパスと違い、上方に向かって放たれる。大きく弧を描く軌跡。その間は誰も手を付けられない。落下地点に走るランナー達。オフェンス、ディフェンス、息を呑む観衆。大抵は一撃でタッチダウンを取るために狙われる。通った時は本当に凄い。
 
 と書く事は尽きない。でも、随分と長くなったし、またどこかでアメフトについては書いてみたい。

:) アメフト = アメリカンフットボールの略です。
 

2005年2月10日

タッチダウンパス

 50ヤードは超えるだろうか、そのパスは奇麗な弧を描いて決まった。だが、観衆からも相手チームからも、歓声のようなものは全く起こらなかった。寧ろ、スタジアム全体が、しーんと静まり返っていた。
 そして、観客席からザワザワザワっとしだした。一人の客が言った。
「なんだ、あれは」
 審判団が、一時的に集まって、協議している。まだまだ観客席はざわついている。相手チームの選手達はは、気の抜けたビールのように、ポカンとしている。
 十秒くらいしただろうか、審判団の輪が解け、主審と思われる一人がエンドラインまで走り、静止した。持っていた笛を思いっきり鳴らした。ピーっという音が辺りにこだました。
 そしてその審判は大きな声で言った。「タッチダウン」と。
 しばらくの沈黙の後、まさにドカーンという感じで、ほぼ満員の観客席から歓声が起こった。
 見ていたわたしもやっと何が起こったか気付いた。得点版には六点が加えられていた。
 目が覚めたようないや、逆に夢でも見ているような気分だった。
 観客席の皆も、そして多分わたしも、ラグビーの試合を見ている気になっていた。それは、皆がラグビーのルール、つまりボールは前に投げられない、と思い込んでいたからだ。その時、この得体の知れない二人のプレーヤが、ロングパスを投げ、そしてナイスキャッチしたのだから驚きだ。でも、実はルールはアメリカン・フットボールのルールのゲームだったのだ。
 なぜ皆が、パスを常に後ろに投げていたのか、それは、ラグビーのルールが継続している思い込んでいたから。
 それは、見たこともない、鮮やかな得点劇だった。
 でも実は皆、期待していたのかもしれない。ルールが変わったらしいことは知っていたから。何時か誰かが、こんな風な、アメフトの美しい弧を描く、ロングパスを投げる時が、投げる奴が、出てくるのを。たがら、しばらくのざわつきの後、ドカンと歓声が来たのだ。海の向こうからの情報で、見聞きしていたものが、現実に目の前に起こり、そういった、新しいスリリングなゲームが展開されたのが、新鮮な驚きだった。
 

2005年2月 9日

サッカー観戦

 今日はちょっと変な日。久し振りに面白おかしいニュースがあって、そっちの問題のコメントとか読んだりしていた。
 しかし、夜はサッカー観戦。北の人達の正確なプレーに驚かされる。戦術に派手さはないが、そのシンプルなサッカーは、丸で雨だれのように日本陣地を脅かした。サッカーって、意外と単純なことの積み重ねなのね、と痛感させられる。最後には、相手も疲れてきて、ミスが出たところを何とか突いて、日本チームもロスタイムにようやく勝ちを拾う。最後のシュートはなんか、小学生みたいな蹴りだったなー。
 夜に掛けて、腹痛が続く。腹巻にホッカイロを入れて、何とか凌ぐ。今日は中々眠れないような気がしている。
 普段はサッカーには余り興味はないのだが、やっぱり代表の試合となると見てしまう。中田、小野を欠きつつも、なんとか凌いだのはよしとできるだろう。
 北に二点目を決められそうになった時は、思わず悲鳴を上げていた。一瞬クロスバーに当たってゴールしたかのように見えたからだ。実は横に立っているアンテナのようなものに当たって跳ね返っただけだったが・・・。
 何時の頃からか、今代表は、ワールドカップに出れて当たり前みたいな、風潮が広がっていた気がする。しかし、そんなに甘くないと思い知る。最終予選は、練習試合ではないのである。今日見ていると、何かこっちの代表は、まだまだ練習気分が抜けてないかのように見えた。後半に点を入れられてから、ようやく気合が入ってきたようだったがー。
 まあいいや。でも久し振りにサッカーを本気になって見たよ。野球だと、贔屓の選手が練習してるだけでも、おっ、とか言って見ちゃうのにね。
 

2005年2月 8日

ブローグ

 今日こそは、書くことが全くといっていいほどない。ネット生活的に言うなら、網上で知り合った人達の内、相当数が偶然にも風邪を引いたりしているようだ。だから、見るべきページが見当たらないのが難。なかなか新しくお気に入りページを見つけるのも難しくなってきた。(本当の意味でのお気に入り。単にブラウザの『お気に入り』に入れるだけのものではない。)
 しかし、退屈しのぎに逆に何か書いて見るのもいい。

 本よりもブログ、というのはいいタイトルだ。
 本の場合、書かれてから、かなりの時間が経っている。だから、読んでいる時には、作者の現在の状態はまず想定できない。ブログのいいのは、その文面からだけでも、なんとなくだが書き手の今日の様子を想像できる。
 おう、元気にしとるな、とか、へー、風邪引いちゃったんだ。とか、はたまた、ほうほう、旅行に出掛けてるのかー、とか。仕事忙しいのかな、とかもある。
 なんにせよ、まあ息遣いに近いものが分かるというか。そういった点では、ブログは今までになく、親近感の沸くメディアなのだ。
 逆に書き手の側から言うと、ブログさえちゃんと付けていれば、知り合いにいちいち連絡しなくても、大体こんなしとんねんでー、と知ってもらうことができるのだ。
 えーじゃないか。考えれば考えるほどに。昔の歌がよみがえってきた。えーじゃないか、えーじゃないか、えじゃないか♪

 少量とはいえ、アルコールが入ると、頭がうまい具合には回転してくれない。まあ、微妙なコントロールが効かなくなるというか、出てくる言葉も、いいとは思えない。それは酔っ払ってボールを投げても、まず好投は出来ないのに似ている。偶々、普段にはない回転が掛って、打者を打ち取ることはあっても、トータルでは、滅茶になってしまうだろう。

 今日はもう眠たい。が、就寝前に水分は摂れない。摂ると身体にはいいらしいが、冬場は特に、夜中にトイレにと、目が覚めてしまう。
 今日は夜に風呂に入る予定になっていたが、明日にする。最近は仮眠が出来ない体質になってきた。すると朝まで眠ってしまう。
 今はただ眠いだけ。粘っても、何か思い浮かびそうにないので、今日はお休みー。
 

2005年2月 7日

一押し芸人かもよ

 今日は一日をぼんやりと過ごした。丁度昼前に、パソコンかんけーの問題で、がくっとするくらいしょうもないことに気付いた。まあ、喩えるなら、一度右へ行けばたどり着ける場所に、359度ぐるぐる左に回って、到達したような感覚か。それはもの凄く頑張ってる人にひざカックンするくらい、ヘナヘナヘナっとなるものである。ひざの裏側をポンと押されただけでヘナヘナしている人の姿を誰もが一度や二度は目にしたことがあるだろう。
 まあでも、その分ネットサーフィンをして、面白い番組も見つけたりした。やっぱり関西芸人はおもろいヤンケーと思た。これがカントー風味に変化すると、途端にわしらにはおもろなくなる。チュートリアルとか、えらい頑張って関西弁喋っとる、ておもたな。
 この所、標準語を聞く機会が増えたので、ごっつい、まあ三十分くらい通して大阪弁を聞けて、新鮮だったし、まあ言えば、心がリフレッシュされた。
 まあ大リーグとかの洗練された野球もええけど、阪神の泥臭い野球が、実は自分にはもっとええという。
 これは食いもん屋とかにも当てはまるんやろね。大阪でまあまあな店が、関東に進出や、って行った途端に味変えとったら、ほんまマスター魂売ったんか、とか思うやろね。大阪の味で勝負してーな、って言いたなるやろね。
 とか書いとる内に、また熱ーく、なってきたので今日はこの辺にしといたろ。

2005年2月 6日

見えざる神の手

 今日は植物の沢山ある場所に行っていた。どこに行ったかはナイショ。
 でも、天然の緑がこんなにも目に感覚にいいとは、と驚きっぱなしだった。どんなに現代のコンピュータが精巧でも、また、この先如何にいいものが現れても、全く同じ色は出せないのではないか、と思った。まず、パソコンに写真を映しても、そこに至るまでの距離が違う。この距離感というものは、どうしようもない。また、現実のその事物までの距離が、実は目に爽快感を与えているのではないだろうか。それは天然の木だからだと思った。巨大なビルディングがあちこちで建っていて、それを遠くから見ていても同じような感覚にはならない。
 それは地上に落ちている枯葉ひとつでもそうかもしれない。実は全く同じ色、そして微妙な色の変化は、人間には遠く及ばないものだ。分かりやすい言葉で言うなら、鮮やか、なのだ。枯葉が鮮やかって?でも、そのことがよく分かった。
 それは、そのような色合いは、きっと僕たちのDNAに深く刻み込まれていて、そのようなものだからこそ反応する感覚があるのだろう。決して、パソコンが作り出したものではなくだ。
 音もそうだった。たとえそよ風でも、木々は微妙に反応し、様々な音を作り出す。飽きなかった。CDプレーヤーを取り出そうという気にもなってなかった。そういった音も、きっと誰の記憶にも、人間が生物である以上、ナチュラルなんだ、と思い知られた。きっと、そんな微風というタクトによる木々のもたらすシンフォニーを聞いて、耳を塞ぐ人なんて皆無なんだ。
 小鳥達は確かにいた。でも、それすら気にならなかった。
 あれだけ、音楽に頼りっきりだったのに、音楽にはない、しかし、当に神の手によるかのような、自然による音の融合に、耳まで浄化されたかのようだった。これで、しばらくまた、喧騒の世界に戻っても、全く大丈夫だ、という気になった。
 陽はまだまだ暮れてなかった。そこにいた時間は一時間程度だったが、二時間にも三時間にも思えていた。
 

2005年2月 5日

午後のひと時

 今日は何かやってる間に、あっという間に眠くなってしまった。昼食後だからかな。でももういつでも眠れる雰囲気だ。
 時間が掛るようなことでも夢中になれるものがあれば、人間あっという間に時間が経ってしまうもの。今日は風呂に早めに入ろうと思っていたのに、入りそびれた。多分起きてからになるだろう。
 昼食後に歯を丁寧に磨いていたから、唾液に血が混じってきていた。しばらくしてなんじゃこりゃと思たが。そういえば、今日番組で、えらく歯のきれいな人をえんえんと見ていて、その影響からか、いつもよりゴシゴシと歯磨きに力が入っていたのだろう。
 数日間の寒波も過去り、今日は暖かな午後だ。もう冬至を過ぎてかなりになる。春分の日も近付いてきているのだから、日も長くなってくるだろうし太陽の当たる角度がより上からになってくる。
 そういった点では、春が近付いているよーってよく分かるな。
 暖かいに越したことはないので、部屋のストーブを点けた。しばらくして温くなると、多分そのまま眠ってしまうだろう。風呂に入る気力はもうない。でも、夜にはまた暖かい風呂に入れるだろう。冬の午後は気楽だ。だって暑くはなりようがないしね。
 

2005年2月 4日

奇妙奇天烈

 今日はよくわからん、あくせくした人をたくさん見掛けた。珍しく昼間に車に乗っていると、バックミラーに映る車の運転手がなんと携帯を掛けながら運転しているではないか!それを見ているだけで、腹が立ってきた。「おまえ、ほーりつ変わったん知らんのか!けーたいしながら運転したらあかんちゅーたやろっ」っと、車から降りてゆったろかと思た。
 しかしそのまま左折して駅前へと向かう。なんだか街全体が慌しくて、なんやこやつら、とまた思た。あんまり長居もするつもりはなかった。ただ、わしは、コーヒーの豆を買いに来たかったんや、コーヒーの豆を。まぁ、完全に切らしてしもたから、今日は絶対に買いに行かなんだらあかんのや。豆の種類はユーコンブレンドやでやっぱ。
 ほいでな、おもろかったんは、スタバのカウンターの若いにいちゃんの髪型や。これが、完全無欠のリーゼントなんや。ビシッやでほんま。それで意外と深みのある声で、言いよんねや「いらっしゃいませっ」って。どやねん、ええやろ。
 ただ、ここでも長居は無用や。とにかく昼下がりやのに、街の空気が変やねや。どこがどやというわけやないけどな。よくあるやろ、地震の前になったら、動物とか察知したものは、みなおらんようになるて。まあ俺もやな、そーいう天性の勘ちゅーか、そんなもんが働いてやな、そこからすたすたと帰ってきた、っちゅーわけや。
 まあまあ、今日はいつもよりぬくかったちゅうのもあるけどな。

 でもな、俺もな、帰ってきてこうしてパソコンの前に座って思たで。やっぱ日本は産業ろーどーしゃの国なんや、産業ろーどーしゃの。まあ、ゆっくりと物を考えとる連中らおれへん。あくせくせんと兎に角アウトや、とおもとる連中ばっかりや。理由とかそんなんカンケーあれへんねんな、連中には。兎に角あくせくしたらこっちのもんや思とんねや。
 帰りに車乗っとる時もな、後ろから来るトラックのアンちゃんがタバコ吸っとんねん。それだけやったらええがな、それだけやったら。それがやなー、信号待ちしとる間に、ミラーから分かるほどにあくせくあくせくして、何回も吸ったりはいたりしとんねん。ほんまにあほかとおもたわ。なんでやねん、いてまうぞ、とかなんか知らんけどおもたね。まあ、そういうあくせくしとる感覚が、こっちまで伝播してきそうで、嫌やってんやろね。
 まあ、それも駅前のあの一角だけやったけどね。すーっと、車で走ってきて、学校の近くを通った時には、もうのんびりしたもんや。小さいけど田んぼもあるしね。時間つぶしの営業車もいつものように止まっていたりするし。そこを通過してしまうと、あとは坂を上ったりしてるうちに帰宅や。
 でも、家でもしばらく落ち着かんかったね。また因果関係を思たね。つまりは日本の産業が発展したんは、何も考えんとあくせくしとる輩が大勢いたからやと。昔のヨーロッパ人みたいに悠然とものを考えとる連中ら、抹消していたんやと。でも、当の欧人も今では米人のコピーみたいになってて、悠然と考える思想家なんて、例外中の例外みたいやけどね。
 だったらどやねんと。数年前に旅行した時に、大勢であった欧人が偶々そやっただけかもしれんけど。それでも、彼等が昔の日本人みたいでおかしかったんや。それはよく言うジャパニーズスマイルのコピーみたいなんやな。なんか知らんけどニコニコし合っとったら、お互いの仲がキープされていくと、互いに信じ込んどる連中の表情なんや。
 あほかとばかかといてまうぞっ、とその時も思たね。そやないんやと。そんなもんは当のジャパンではバブルの崩壊とともにとっくの昔に消し飛んでしもたんやと、全く言ってやりたかったけどね。そんなもんコピーしてお前らどないすんねん、っと。
 まあええわ。だからどやというわけではない。つまりは歴史は繰り返す、っちゅうわけや。またこのジャパンでも、バブルの頃に掃いて捨てる程に居たような、調子に乗ったビジネスマン風の風情の輩が、あちこちから沸いて出てきて、それがどんなことか全く知らんような人間の顔して歩いとんねん。あほかと、ばかか、と思たけどね。
 まーええわ。渋ちんやけど、一方でええなと思とるんは、そうでない奴等が比較的多くて、そういう居心地のえー場所もできてきとると。まー、あのリーゼントのにーちゃんが醸し出す、店の雰囲気は、なかなかゆっくりできてるし、今日みたいに、おかしな思いすることあれへんわ。
 

2005年2月 3日

やっとこ

 そろそろというか、ようやくというか、やっと書くことになりました。午後になりました。日が短いので真昼という感覚が余りない。もう昼下がりみたいだ。
 本来なら、何でもぶらぶらと書いて一日を終えるところなのだが、不用意にも仮眠をしてしまい、それがそのまま本眠になるという・・・。
 その日その日で、出来事も微妙に違い、感情も違ってきてるのだから、書きたいことも変わってきてるはずなのに。
 なんていうか、ドミノ倒しの駒が一つ欠けたみたいな感覚だ。だからまた、これから先、一つ一つ置いていかないと、道は出来ていかない。色々なことを思った。万里の長城を歩いていた人が、道半ばで捻挫してしまい、一旦離脱せねばならなくなったかのようだ。
 また、技術的にも問題が出てくる。思ったこと感じたことを単に書き出しているに過ぎないのだが、それだからこそ技術が要るのだ。もっと思ったことを思ったままに書きたいと思うが、ある一定の所まで行っても、微妙な技術は、少しの怠けで、もの凄いバックしてしまう。くそーっ、と唸ってもしょうがない。
 何日間か、何かを思い詰めていたような気もするが、それも感情の奥深くに沈んでしまったのか、それともどこかへ行ったのか。
 
 今日は節分で、巻き寿司を西南西の方向に向かって黙って丸齧りした。昔は家族で皆揃ってやったものだとか、そんなことを思い出しながら。お茶だけは飲んでいたが、二、三分は掛った気がする。
 節分も済めば、奈良の水取り、というのがあるらしく、それが済めば、いよいよ立春になってくる。まああま、毎年この時期から、ようやく春の準備とか、心構えとか、そんなものを始めていた気がする。
 変化の兆しが現れてくる。寒かった冬も、終わりが近付いてくるのが、誰の目にも、徐々にだが明らかになってくる。あー、季節ってやっぱり変わるんだね、って実感する瞬間だ。
 色々な懐かしい記憶はある。でも、それはきっと夢の中だけでよみがえってくるのだろう。記憶なのか、想像なのか、それとも夢なのか。

2005年2月 1日

零下

 まあまあな一日だった。夜間はかなり寒かったが、その分色んなことに集中できた。大阪でマイナスになるのはホントニ久し振りではないか。あっても年に二三日だろう。
 だがまあそれも一瞬で、日の出と共に気温は上昇し始めて、もう寒いというほどではない。
 昔は、小学校の行きしなに、よく水溜りに氷が張っていて、ちょんちょんと爪先でつついたり、一部を割って学校に持って行ったりしていたものだ。
 コースの違う、少し離れた場所から来ている子等の内、よく氷柱を割って持ってきていた奴がいて、妙に羨ましかったのを覚えている。
 家の近くの水溜りでは、そんなに純度の高い透明な氷は取れなかったのだ。取れても濁って茶色くなったものだけだった。だから羨ましかったなぁ。その為にわざわざ遠回りして、少しでもいい氷のある場所を通ったりもしていたのだ。
 しかし、そんなことも昔話になってしまった。今では温暖化が進み、その濁った氷ですら張ることは、まずない。まあ、霜焼けやアカギレになる子供らも、今ではここらではいないのだろうね。
 身体が覚えているから、久し振りに零下になると、共通してるのはそんな昔だから、そこまで記憶が遡ったりしちゃうんだね。