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2005年5月30日

季節はすでに変わったけど

 やっと書こうかな、とか前向きな気分になる。なんか、鬱陶しいことがあった時とか、思うように進まない時とか、気持ちが低下しきってからじゃないとなかなか、前に進もうって気にならないもんね。ここんとこそんな記事が多いね。
 
 日曜の昼から、何故か酒なんてかっくらい、眠っていた。ここ数日なかなか寝付けないことが多かったんで、時間の沢山取れる間に眠っておこうと思ったんだね。

 でも、よく見るブログとかがあって、全く更新されてないとかよりも更新されててた方がいいのだけれど。それでも、モブログ更新とかで、チョロットしか記事がなかったりすると、あれ~、とかいう気にもなっちゃうな。
 
 今、やっとインスタントコーヒーとか飲んでて、そのカフェインとかが効いてきたのか、ちょっとまったりした気分だ。午前中にせっかく作ったコーヒーも、さすがに色んなものが抜けちゃってるみたいです。
 
 日曜日から月曜日に掛けての深夜って、目茶目茶静かでんな~。静か過ぎて、逆に散歩とかしようとかいう気にもなれへんけど。それでも、日がかなり長くなってきて、夜明けの時間も早くなってきてる。

 

2005年5月28日

途中まで

 取り合えず、何かを書けるような状態ではないのは自覚している。
 しかし、そういうときこそ、書こうとするべきなのだろう。
 外からの情報は遮断して、中から外への流れの時間を作るのは、取りあえず他には内容な気がしているし。

 今朝はファミレスにモーニングを食べに行った。六時を過ぎていたので、嫌なオサーンの店員が居ないはずなので、最寄のとこに行った。
 そんな早朝に車を走らせていたけど、おかしなことも色々あった。まず公園の近くで、鳩が車の目の前に飛んで来て、路上に止まったのだ。まあ、住宅街の道だったので、そんなにスピードは出してないので、急ブレーキという程でもなかっただが。それにその鳩、車が目の前にあるのに、退こうとしない。だから、ハンドルを回して回避して通り過ぎた。
 そういえば、その辺りは、かなり由緒ある森を切り崩して作った、新興住宅地で、だから度だび、道に迷った狸も見掛けたりしていた。大型マンションができる時には、ずーっと近くの古い住宅街の人達は、各々の家に垂れ幕を掲げたりして、反対運動をしていたものだ。
 しかし、その声も届かずに、いつの間にか二棟のかなり大掛かりなマンションが出来上がってしまっていた。
 なるほど、まだまだ新しいので、随分と清楚な素晴しい一角の町が出来てきたようにも見える。しかし、度々出てくる、居場所を失った狸や猪豚、それに方向性が分からなくなってしまった、今回のような鳩たちが、そのようなものへの強烈な疑問を呈してるように思えてならない。
 森とかそういうのは自然だから自然にかなり再生する。しかし人が作った人工的な町は、十年経てば十年分確実に古びるし、大型マンションなんて、数十年後には、どの程度老朽化してしまうのか、丸で分からない。

 そのような疑問が、その鳩を通過してから僅か数分の間、頭をよぎっていた。
 その後しばらく行くと、朝から妙に乱れた古着のようなものを着て、またハイヒールで、一人で歩道を歩いている、若いのかよく分からないくらいの女の人を見かけた。髪の毛もボサボサでどうしたのだろうかと思った。
 次には、タオルをバンダナのように頭に巻いて、ランニングをしている人を見た。若い人かと思いきや、初老の男性のようである。右手には杖のようなものを持っていた。
 

2005年5月27日

めっちゃ晴れてんねんけど

 色々と心理的に難しい問題とかが、歳を追うごとに出てきている気がする。
 具体的にどうのこうのというより、より若い時よりもより複雑な問題を抱えようとするからだろうか。より若い時ならば、小さなことでもギヴアップしてればよかったけど。ここ数年はどうしても、知らず知らずの内に抱え込んでしまうようだ。まだ大丈夫とか、全然平気、とか言ってる間に、もやもやしたものが蓄積していってるのかもしれない。

 クラッシックのモーツァルトのピアノを聴いている。それでよい、というか。普段ジャズで時間を繋いでる分、凌ぎにくい時間でも、モアディフィカルトな時間、に取っておき、みたいな感覚だ。

 そうそう楽しいことばかり起こるわけではないのに、人前ではいつも笑ってなければならない、かのようなプレッシャーはどこから来るのだろうか。
 
 昨夜は阪神が大勝したのに、その時間帯は何かに疲れ切っていて、眠り込んでいた。今日からは仙台に乗り込んでの楽天戦だそうな。

2005年5月26日

日光

 今年になって、ほとんど初めてクーラーを使う。さすがに太陽は地球の周りを回っている。そして光の当る角度も、毎年そう変わるわけでもない。だから、まあ、六、七、八とは夏であるはずだ。
 流石に去年は五月ごろからもう台風が来ていたので、感覚的におかしかったが。

 例年、簾をなんとか西側の窓にくっ付けようとしてるが、上手くいかない。風で飛ばされてしまうことも多いからだ。ただ、暑さ対策としては絶対に必要なアイテムの一つだろう。

2005年5月25日

ブログ痛し痒し

 このブログでも、段々と社会性を帯びてくるに従い、なんだか書ける範囲が狭まってきてるように感じている。
 こっそりと私的なことを書いていたようなところがあるが、こっそり性も私的性も、なんだか書くのに勇気がいるようなことになってきてしまった。
 また、色んな苛立ちをぶちまけるにしろ、個人攻撃的な話しになってきて、甚だ不愉快だろう。
 
 ジャーナリズムってこの国では、既に千人がワーワー言ってる事柄に対して、千一人目になろうとすることのようでつまらない。
 
 つい先日、市民プールに行ってきた。だからかどうかしらないが、ストレスとかがちょこっと抜けたのかもしれない。今まで運動とかせずに色々やっていたことから、拍子抜けしたような感覚かもしれない。
 運動するってことは、何かを文章化することと対極にあるのかもしれない。身体で色々表してるから。文章にする為に、じっと記憶を睨み付けるような必要がない。
 だから、きっと脳がそんな風に作用して、経験を一々記憶に留めて置かないのだろう。今思い浮かべても、ここ数日のことは、すべてカスカスの記憶しかない。
 
 それでも何だろうか。こうして文章をひねり出そうとすることで、確かに現時点までの頭と感情の整理になってきてる。人間ただひたすらぼんやりしてる、ってことは中々できない。普通にしてるだけで、情報はどんどんと頭から身体から入ってきてるのだ。
 そしてその逆に、相当意識して頑張らなければ、それらの情報に取り敢えずの辻褄を与え、そしてアウトプットすることは、簡単ではない。
 
 今日ようやく、取り合えずこんなことでも書けた、ということは、ここ数日の稀な変化を、曲がりなりにも吸収して、方向性とか分かってきてるのだろう。
 

2005年5月22日

やっと朝食

 頼んでも中々更新されないブログかな、とかいう一句が生まれてきそうだが。
 日曜日ということで、少し長い時間を利用して生活のパターンを朝方に持って来ようとしていたのに、持ちこたえられずに、結局今になって起きてくる。
 やはり色んな人のブログを一遍に見に行くのは、対象が増えれば増えるほどおろそかになりがちなので、RSSビューアーを使うべきだ。そうするとメーラーを開くように見ることができるのだから。
 よく、ブログは毎日付けるのかどうか、とかで小さな議論が展開されてることがあるが、わたしとしてはできるだけ毎日してもらいたい。でなければ、正直に点けなかった日は空けておいて欲しいものだ。例えば、このブログでも随分と長いものを書くことがあるが、それでも、例えばそれを三分割にして、はいっ、三日分出来上がり、なんてことはして来てない筈だ。

 でも、起床後とかいうのはタイミングとしてはよさそう。どうしても起きてしまうまでにバッファーの時間がいつも必要な性質なので。

 これからようやく朝食を食べれるので楽しみ。コーヒーをちゃんと飲むのは一日振りなんだし、あたり前の話だが、ちゃんとした朝食も一日ぶりだ。

2005年5月21日

急迫

 最近はどうも夜中に仕事をしてしまうことが多くなり、昼に起きたりしてしまう。そういうリズムになってくると、このブログにも影響を及ぼしてくる。書くのが寝る前ではなく、起床後いきなり、とかになる。寝る前、もしくは起床後以外、書く機会はどうもなかなか見出せないようである。そして起床後はそうするのに最もいい時間帯ではあるのだが、いかんせん空腹になりがちだ。だが、まあ、その分、短くパッパッと書くようになるのかもしれないが。
 あんまり書きたくないことでも、やはりここに書く以外はどうしようもないので、記録がてらに記しておくと。

 昨夜は外出時刻が遅れていた。国道から曲がり抜け道とかを通っていた。一つの曲がり角ではパトカーが直進していた。やり過ごし左折して少し曲がりくねった道を行く。信号で停まる。
 ここまでは普通の日だった。信号待ちでなんとなくバックミラーを見ていると、後ろの奴は携帯で電話しとんねん。一台越しのパトカーは何しとんねんと思いつつ少し腹立ってきた。そいつのふざけた調子で話す風情が、余計だった。
 信号が青に変わる。パトカーは左折していってしまう。わたしは直進だった。その携帯電話の男の車も後ろに来ていた。
 ズーっと行く。突き当りで右折した。何やら後ろのが煽ってくるようである。わたしは横断歩道とかがあるので慎重に行く。すると更にきつく煽ってきた。だがまあ右折も終わりしばらくは直進。前の車までは五十メートルくらいあっただろうか。
 しかしとにかく片道一車線のバスどおりで、両側に商店などが並ぶ、どちらかというと細くゆったりとした道である。しばらくもしないうちに、あろうことか、その後ろの輩が追い抜きに掛ってきた。対向車はズーット向こうに見えてはいた。わたしはむかついたのもあったが、させるかっ、とばかりにアクセルを踏んだ。五メートルくらいは並ばれたようだったが、あいても諦めてまた後ろに来た。
 さー、それからが大変である。こちらの運転に相手がカッと来たのか、やたらと激しく煽りだした。もうテイルトゥーノーズの状態である。しかしわたしももう一度は抜かすまいと、どちらかというと真ん中寄りに車を走らせる。こちらが左折すると、追尾してきた。
 しばらくは細過ぎる道だが、やがでスピードの出しやすい直線の道へ。工場の外側で大型トラックとかが通れるような道だ。わたしはアクセルを踏み込んだ。追尾してくる白い特徴のない車は、ここでは距離を開けて、だが追い掛けて来るといった風情である。
 突き当たりで右折した。後続車もした。そこからはまた住宅街の、細く曲がりくねった道だ。しかしその辺りから相手もまた激しく煽りだした。余程ブレーキでも掛けたろか、思たが。これは丸で映画『RONIN』のカーチェイスのようである。相手が煽るのはこちらに事故でもなんでも起こさせようとしているのかもしれないが。
 そう考えると、もう少しわざとゆっくりと行くのも手だが。だがそれで万が一前に回られるとやっかいである。とにかくしばらくは、そんな細い道でのカーチェイス状態が続いた。
 そしてまた別の商店街のある場所で左折。ズーっと行くと前の方では信号が赤になっていた。これはやばいかもと思いつつ行くと、相手はその信号の直ぐ手前で右折して、どこかに行ってしまった。
 フーッと一息継ぎ、なんとかやり過ごしたのかな、とか思っていて信号で左折すると、なんと行き止まりだった。ヤベーッ、と思った。危機一髪だったのかも。ここまで追い掛けられていたら、かなりきつかったなーとか思っていて、ユーターンさせた。その辺りの道を真っ直ぐ行くと、どうやら駅前の商店街のようである。ズーっと行き、踏切を渡った。
 ここからがまた大変だった。また信号待ちをしていて、目が痒いなと思って擦っていた時である。左目のコンタクトがポロッっと外れてしまった。信号の待ち時間はそれなりにあったが、しかたがないと思い付き、直進して小川の堤防の脇の細い細い道に入り込んだ。
 ルームランプを点けて懸命に探してみたが、ないようである。眼鏡はもっていなかった。
 色々思案したが、結局は片目の視力だけで帰ることにした。それにしても細い所に入り込んだなー、とか思いながら雑草とか生えてる道をゆっくりゆっくり行く。元の通りに戻るために左折して堤防から降りる道を行こうとすると、崖の所にカップルらしきものがいて、こっちを見ている。こっちも向こうを見たが、何故かこっちを面白がって見ているようである。わたしは気付いてルームランプを消した。
 なんとかユーターンできて、ゆっくりゆっくり行った。片目の視力ではかなり苦しい。今度はややこしい場所を通らず、川沿いの道をズーっと行く。頭の中ではどこが一番安全で確実に帰れるルートかを考えていた。
 
 なんとか無事に帰宅した。またコンタクトも意外と直ぐに見付かった。阪神タイガースは大敗していた。一日がそんな具合で過ぎていった・・。

2005年5月19日

 何か、をザーッと一気に書いてしまい、するとそういったものごとが瞬間、外部化してしまうことに気付く。そしてまた、書き足りなかったことが見えてくる時だ。
 今日も夜中に、国道の道路を走っていた。概ねトラックばかりだ。何時になくスピードを出したくなる気持ちを抑えていた。七十キロよりも遅い速度で左車線を走っていた。しばらく行くと、総合病院のある辺りから古ぼけた中古車風の車が出てきた。左車線を大分前に行っている。
 なんとなくだが、あの車に追い付く必要があると思っていた。アクセルを踏み込む。速度は七十キロを少し超えただろうか。信号が赤になればいいのに、とか思いながら走るが、そういう時に限ってそうはならないもの。百メートル位前を行く、その白い中古車との距離は徐々に狭まっていく。普段より随分と速いなー、と思っていた。
 やっと距離が縮まるが、その車は右折用のレーンに入ろうとしていた。わたしの車がサーッと追い抜こうとしたその時、右車線に大型トラックが、グゥオーンと入り込み、抜き去って行った。結局その中古車は右折して、行ってしまった。

 終夜営業の店で少しの時間を過ごせた。大学生なのか、という若い男が、なにやら勉強しているようだった。それともう一人は黒い帽子を目深に被り、更には眼鏡をして、外側の窓ガラスに向かって座っている奴だ。
 わたしはその日はドリンクだけでなくポテトも頼んでいた。夜中の三時か四時頃ではあるが、最近では女性もその時間帯に働けるようになったらしい。ウェートレスはなんだか癖のある感じの若い女性だった。
 わたしの座った席は、衝立を挟んで別の客がいた。二人連れだった。しばらくはうるさいので、書物には集中はできなかった。だがやがて三十分もしない内に、その客は帰った。
 わたしはポテトをガツガツと食べて空腹を凌いでいた。途中、何かが足りないなー、と思いさっきのウェートレスを呼び、カラシを頼んだ。直ぐに小皿に入れて持ってきてくれた。
 ポテトにケチャップとカラシをたっぷりつけて食べた。アヒャー、という位にその辛子は辛かった。家にある市販のものとは随分と違う本格派だった。
 少し目が覚めた気がして、また読書に集中できた。だが、しばらくして、さっきの大学生と思われる若い男が、携帯電話で何やら話し始めた。内容は他愛もないことのようだったが。
 そんなこんなで時間がどんどんと過ぎていき、わたしは持ち込んだ五冊の本に一応は目を通し、それなりに読み進めることは出来た。帽子を目深に被った男は、何か難しい数学の問題でも解いているかのような様子だった。微動だにせずに思案しているかのようだった。時折、コーヒーを入れに来ているようだった。
 わたしはその日はコーヒーとカプチーノと紅茶を飲んでいた。カップの形が変わっていて、カプチーノを入れる時にはミルクが上手く入らなかった。
 
 何にせよ、平和な三時間弱の時間が過ぎていった。気付いたらその大学生はいなくなっていた。だが、目深な帽子の男はまだひたすら数学の問題を考えてるかのようだった。
 夜明け頃の道ではトラックが大半のようだった。レジに向かい、五百幾らかをさっきの癖のある店員にはらい、店を後にした。
 
 帰り掛けの国道、後ろには黒塗りのワーゲンが来ていた。煽ってくるという風情ではなく、何とかして追い抜いてやろうといった感じだった。右に並ばれた時、なんとなくやだなー、と思ってわたしはアクセルを踏んで抜かれないようにした。
 するとあっけなくそのワーゲンは後退していった。そして沢山来るトラックの間に紛れて見えなくなった。
 その時間帯では、右車線は必ずしも追い越し車線ではないようだ。トラックが山のように行っているので、何となく追い越した気になっていても、信号で停まる時には、何台ものトラックの後ろに並ぶことになる。
 わたしはずっと左車線を行っていた。さっきのワーゲンもまたいつの間にか真後ろに来てはいた。だが、もう自宅近くに来ていたので、わたしは余裕をもって左折して、住宅街の道に車を入らせた。
 早朝の散歩をしている人がいて、曲がり方がおかしかったので、随分と道路の右側を通ったりした。

2005年5月18日

やっぱりスケッチ

 やはり最近は、寝る前にブログを付けてからでないと、うまく寝付けないようだ。情報が余りにも多過ぎる割に、それらが自分に関しないところで勃興しているので、自分に関する情報は自分で形作り整理してやる必要がある。
 よく言う、自己確認とかいうやつなのだろうが。

 今日はうまい具合に何冊か本も借り、風呂にも入れた。自転車に乗って外出というのも、夜にはスタバに行くことができた。中くらいの広さの店内では、何かをしている人が多かった。
 買いたい色のタンブラーが売り切れていて、近くにもう一つある店舗に買いに行こうと思い出したりしていた。
 隣に座った人たちの話が随分とうるさかったが、それなりに書物に集中できてはいた。ただ、終わり間際に腹痛に襲われ、何度かトイレに駆け込んだ。だからちょっと尻切れトンボだったが。

 ここ数日、CNNやvideo.msn.comをよく見るようになった。映像とかそんなものをぼんやりと見てるには、この二つが今の所コストとか含めてましだな、ということになっている。ネットでビル・マーさんの映像を探して、短いのを見ることが出来たが、フルではないようである。
 
 後、まあ記録として、『屋根裏の散歩者』は面白かった。と言うよりも、短編でありながら、十分に骨格がしっかりしている。明智小五郎の登場がいい。ここに日本最初の探偵小説が完成した、かな。
 
 夜が明けてきている。今日はやっぱり、スタバで横に座っていた、若い女の二人連れの、外国と男に関するほら話が、引っ掛かってる。やはり横で大声で、自分と関係のない話しを延々とされると、人はむかつくようである。それは、電車内で携帯で話すのが、いつの頃からかマナー違反になったのと似ているか。

 

2005年5月17日

外部

 今日はなんとなく、そのまま眠りたいという気持ちが強いのに、なんだかむかつくことが頭に蓄積してきていて、眠れそうにない。実際、何にむかついているのかはよく分からんけど。
 そういや、今日は図書館に寄った帰りに、夜道でトラックに煽られた。こっちは道が細くなった所で、自転車を避けようとしていたのに、後ろからプッと鳴らされた。それからやたらと煽ってきた。それはクラクションを鳴らしたことを正当化しようとしているかのようだった。
 その辺りからきっと一日の苛立ちが始まったのかも。まあ野球がない日だったとか、そんなこともあるかもしれない。
 
 帰宅後には、久し振りにCNNとかいうのをマジで見ていたりした。ラリーキングライブで或ソープオペラの特集とかやってたから。思わず引きずり込まれて見ていた。出演者が出てきていて、そのなかで警官がパトロール中に、逃げ出したでっかい牛に追い掛けられる、というシーンが笑えた。
 
 日本にないか、あるいは見えにくくなってるのは、外部だろう。それはいろんな意味で。日本で有名な役者はこぞって大企業のCMにでるか出たがるが、ハリウッドスターはまず米国内では出ない。またそうする必要がない。
 それは結局、日本にいると、ああ、そういった大企業至上主義みたいなものの、外側はないんだなぁ、といった閉塞感があるだろう。つまり、その外側できっちりと自立している人、というのが全体に知れ渡っていない。
 最近でこそ例外的にベンチャー企業人とかがまあ、出ては来ているが。

 次に、お笑いの超不健全化とかも、苛立ちの種の一つだ。吉本興業とかいう、一つの私企業が、お笑いという、普段生活の中で普通にあるものの言葉をそのまま使い、それはこういうものだ!と言わんばかりに型に填めてしまった。何故あんなに一つのパターンでやりたがるのか分からんし、また、その中で、古株の師匠とか言われる様々な連中の横暴ぶりに、余計苛立つ。お笑い、つまり広義の、日々の生活の中でのやり取りから自然と生まれてくるものの、良し悪しをなんでそもそもお前等が決めれるんじゃ!
 
 何にせよ、二つの事柄の外側が実際は身の回りにあるのに、それが見えにくくなってしまってること。

2005年5月16日

ちょっと抜け出た

 現実的にちょっと身体が動きにくかった。もの凄いだるくて、身体全体を放棄してしまいたくなるくらいだった。よく鎧を着ているような感覚、とかいう表現があるが、まさにそれだった。
 そういった特殊な感覚から抜け出る術はあるわけないが、やっぱり睡眠不足だったのか、一晩寝るとどうやらそのだるさ自体は抜けていたようだ。
 食欲とかそういうのはしっかりしている。朝起きると、もの凄い空腹感に襲われたりするし。夜食も沢山食べたのにだ。
 花粉の影響がまだすごいようだ。特に起き抜けにその影響がまとめて出てくる。夜の間に吸い込んだからか、起きていつも鼻をかんだり、クシャミが出たりと、そういったことを何度となく繰り返したりする。
 今日は涼しい。涼しいから体調がよいのか。ただ、現状では後五℃も気温が上がると、どう対処していたのかよく分からない。またあんなにだるくなってきたらどうすればいいのだろうか。座ってるどころかベッドに横たわっていても、自然と体力が消耗してくるような。
 年々酷くなってるのか、それとも、毎年季節の変わり目などに、同様の経験をしておきながら、すっかり忘れてしまっているのか、どちらかなのだろうけど。
 ただ、薄っすらと記憶にあるのは、とにかく夏場でも、早朝は余程でない限り涼しいのだ。だから、ばててる時でも、明方には元に戻ってると思われる。
 なぜ、わたしはこういうことを延々と書いているのか。きっと来年にむけて、それぞれの日々の影響とかそんなんをどうやって乗り切ったのか、記録しておきたいのだ。
 つまり、去年の資料がまだない。去年はまだブログをつけていなかったからだ。何らかの記録はあるのかもしれないが、こういう分かり易い形では残ってないだろう。
 とりあえず、来年以降は、あーこんな風なことで苦しんだりしててんな、と分かるだけで、対処の仕方や心構えとかも違ってくるのだろう。
 

2005年5月15日

日付変更線

 まあ、早よ書けや、といった感じなんですが。
 いつもチェックしてる人達のブログの記事をよく読む。だいたい、日付が変わる前後には更新されてることが多いからだ。
 まあ自分的に面白いなぁ、と思えるのは、やっぱりその人の生活の様子が描かれてる場合だな。まあ日々更新するものなので、やっぱりブログって日記と性質が似てると思う。
 要は、この人、今日はなにしてはったんやろ、と言うのが一番の関心事だったりするからね。別に特別なことをしてる必要はあれへんねんな。ただ単にいつものスーパーやコンビニに買い物に行ったとか、そんなことでもええと思う。そこで何を買うたのか、またどうしてそれを食べたかったのか、とかそんなことまで気になったりするのだ。
 
 かくいうわたしは、今日はもう完全に土曜日モードやった。夕方の中途半端な時間から始まった阪神戦も、まったく中途半端な状態で中継は終わってしまい、ラジオに切り替える。
 仕事的なことをするのは夜中に完全にずれ込む。明日は日曜日なので、徹夜でいることになるだろう。
 沢山寝たのに、中途半端に眠かったりする。

 探していた爪切りが見付かった。少しでも爪が伸びた状態だと、タイプがこんなにもしづらいものなのか、と思った。
 基本的に休日の甲子園のチケットは完売で手に入らない。また仮に入ってもレフト側だったりする。レフトサイドに座るとよく負けるので、結局は行く気になれない。
 
 「割れた窓をそのままにしておくと泥棒が入る」という法則があった気がする。今朝は、そんなことが気にかかって、自宅の前に捨てられていた、某ファストフードの包み袋やジュースのカップなどを、懸命に掃除して片付けた。
 
 やはり眠いので、このブログを書いたら眠るだろう。やっぱり日曜日の昼間は有効に使いたいものだ。
 

2005年5月12日

影響のありか

 世の中回ってんなー、動いてんなー、といった日々だ。多くの人が多くの場所で、それぞれの目的に向かって歩んでるという。それはブログーを通じて知らされてくるが。
 ただ、そのような印象を持つのは、単にプロ野球交流戦で、普段見たこともない組み合わせの試合が、全国の様々な場所で展開されているから、だけかもしれないが。
 夜中に、少しましな番組として見たものとして、ここにどうしても備忘録として取り上げておきたいのがある。
 リビー英雄、という、随分以前から気になっていた、日本語で書く英語を母国語とする作家の話しだった。
 万葉集を大きく取り上げていて、その翻訳の難しさと素晴しさとか、そこから分かったこととか、そんな事柄だけど。
 ただ、軽くは中々書けないので、彼のことはこの程度にとどめとく。

 朝から血圧が下がるような思いをした日だった。でも、天気とかの影響もあるのかな、そんな感覚がずっと続いた。
 

迷子

 夜、隣町のカッフェに行こうとしたら、道に迷った。何時も通る川沿いの道より近道があったはずだと、勘で行ったから。
 しかし方向音痴も甚だしい。まず国道から左折する。そこまでは正しい。次に右折。これも正しいのだ。そしてもう一度右折した。そのバス通りで、よくその隣町に行ってる表示のバスを見掛けたので、この道を真っ直ぐ行けばいいのだろうと、単純に思ってしまった。でも、左折して右折を二回すると言うのは、結局、コの字の向きに移動しただけになる。だからずーっとそのバスどおりを行くと、国道に出たのだ。だが、その時は、「えー、何でこんなとこに出るの?」と思い込んでいたので、多分思い違いだろうと、その国道を横切ってしまった。
 さあ、それからが大変である。その辺りは、まあ自宅からはそれほど離れた場所ではないものの、殆ど通ったことがない道が続く。「しかし、おかしいなぁ」と感覚がありつつ、ようやく自分がコの時をひっくり返した進み方をしていただけだと気付いた。しかし、その頃にはもう随分と来てしまっていて、それから引き返すにもかえって道が分からなくなってる。
 とにかく曲がらずに真っ直ぐ車を進ませる。そしてようやく分かり易い表示を目にした。そこで左折。
 しかしどうだろう。確かに同じ市内なのに、こんなにも田舎風情な通りってあるのだろうか、と言う感じの場所なのだ。何もかも看板が馬鹿でかい。家具屋が沢山あったり、コンビニの看板は駅前のに比べたら三倍くらいの大きさちゃうかと思えたりもした。早く抜け出したいが、どういけばいいのかは全く分からない。とにかく曲がったりせずに、真っ直ぐに車を走らせた。
 するとようやく、大きな通りに出た。幹線道路だった。そこでは曲がるかどうか迷った。しかしよくよく見ると、この辺りでこれだけの道路は絶対国道のはずだ、と思い、左折することに決めた。
 そして国道を左折した。やった見覚えのあるところに出た。それは、始めに左折した場所から北に七キロほど来てるだけの場所だった。

 とにかくまず帰り道に車を載せ、車内の時計を見ていた。もう一度隣町に向かうには遅すぎる。しかしこの通りにはファミレスがあったのを思い出した。よし、そこだと言うことに決めた。

 駐車場に着いた時は流石にほっとしていた。夜は十時になろうとしていた。この時間帯にこのファミレスに来るのはほとんどないので、込み具合がどんなものか気になった。だから、禁煙席のある所が外から見える方から歩いていった。
 どうやらガラ空きのようだった。中に入って、座るとドリンクだけを頼んだ。

2005年5月11日

緩やかな日々

 少しずつ微妙な事柄がちょっとずつずれてきて、久し振りに眠れない夜を過ごした。そういう時はとにかく、メランコリックにはなりにくい音楽で、時間を繋いでいく。そしてただひたすらに、眠くなってくるのを待つしかない。人間起き続けていれば、必ずどこかで眠くなるはずだ。
 なにかがきっかけで、随分と必要以上に頭が冴えてい続けてしまうことがあるようだ。
 まあ、とにかく、何とか眠ってしまい、また幾つかおかしな夢を見たようだが、すっかり忘れている。

 まだ花粉症の影響があるのか、くしゅみや鼻水が出たりする。そういや廊下の窓を開けると、まああまの距離で見える山々の内、一部の山肌が黄色く変色しているのは何故なのだろうと、気になった。きっと杉なりヒノキなりの花粉が飛んで来たか、今にも飛ばんとしている状態のだろう。
 
 色々な人のブログを読もうとするが、簡単には更新されていない。まあ、あたり前か。
 

2005年5月 9日

ご飯

 帰宅時間が極端に遅くなった。普段なら寄らない方の本屋に寄ったからだったりする。本屋はどこでも同じだという考え方自体が間違っていたようだ。規模だけの問題ではないのだ。同じ冊数の本が並べてあっても、てんでばらばらだったりするとまったくどこをどう探していいか分からない。それに、そのチョイスも微妙に本屋によって差があるようだ。この本屋はこの本をプッシュしたいので、それを分かりやすい目の着きやすい場所に置いてる。それは棚の配置自体でも、こんなにも差があるのか、と思わされた。雑然と配置された棚と、色々な視角とかまで考えられたのとではこんなにも違うか。
 まあ二件目では、直ぐ近くにある古本屋にしろ、特徴がなくて、何しに入ったかよく分からなかった。そんなこんなで一時間は余計に時間を費やしてしまった。
 帰り掛け、また車に乗っていると、ショートカットして車数の少ない道を行った。ゆっくりカーブを走らせていると、歩道に身体をくの字にしてしゃがみこんでいる人影がチラリとだが見えた。しゃがみ方が普通ではなかったので、ホントに人影だったのか疑問になった。しばらくそのまま車を走らせて、信号待ちをしていた。しかしどうしても気になったので、コンビニの駐車場でターンして、引き返してみた。もうその歩道の植え込みのある場所には人影すらなかった。だからまたもう少し行って、今度は別の駐車場で車をターンして、今度は帰ることにした。途中もう一度同じ場所を通ったので、よく目を凝らしてみたが、やはり誰もいなかった。新聞配達の中継所がそばにあったので、そこの人が偶々出てきていて、電話でもしていたのだろうか、と思った。
 眠気だけが増してくる危ない国道だった。車数は少なくなっていた。信号の変わりがとても早かった。走りながら思った。これはきっと二つのことだろう。一つは、車数が少ないので、必要以上にスピードを出す車を、定期的に停めて事故を防止する。もう一つは、夜中なので頻繁に信号を赤にしても、交通を滞らせる心配がない。などだ。
 そういいながら、やはり次の信号で引っ掛かりかける。「ああ、黄色だな」、と思いながらブレーキを踏んで一旦は停まった。しかし信号は赤にならない。その黄色は下の矢印信号の為のものだったのだ。そして矢印信号の青が消える。またもう一旦黄色になった。今度は直進用の黄色だった。わたしはそこで慌ててアクセルを踏んで車を発進させてしまった。普段だったら、黄色ではアクセルを緩めつつ、黄色の間の後半だなと思えば停まったりしていた。その場所の信号がそんな風に変わってたとは。
 
 その後は何事もなくがら空きの道を帰ってきた。途中、ウィングをわざわざくっ付けたような車が、エンジン音を高鳴らせて、あっという間に追い越し車線を抜かしていった。最近では走り屋さんでもなかなか付けないようなウィングだったが。
 
 帰宅後は空腹も度を越していた。しかし昼飯がラーメンだったので、またもう一度ラーメンを食べる気にはなれなかった。取り合えずパソコンからの音楽を掛けたり、手洗いしてうがいをしたりした。また着替えたりもした。
 なにやら冷蔵庫を開けたり締めたりしながら迷っていたが、えーいままよ、とばかりに、やっぱりご飯や!ということになった。なにやら頭の中で理屈をつけていた。『日本人は太古の昔(千年よりもっと前)からご飯を食べてきたのだ。だから遺伝子にはとにかくご飯を食べてればいいとなってるはずなのだ。それに比べて、ファストフードのハンバーガーなんて、高々三十数年、また多くの人が食べるようになったのはここ二十年くらいじゃないか」とかそんなことを思っていた。
 そしてジャーの中には冷えたご飯が。取り合えず茶碗に詰めて、レンジでチーンと一分。待たずに、取り出す。ポットからお湯を茶漉しを通して急須に入れる。お茶完了。茶飲みに入れる。
 ご飯は味付け海苔で食べていた。しかし旨かった。やはり空腹時はこれに限るな、とか思た。食べれば食べるほどにますます食欲がわいてきた。御代りをする。最後には梅干まで登場させて、三杯ほど食べてしまった。
 満腹になった。いつでも眠れるような気がした。

2005年5月 8日

ちょっとずつ起きてきた

 あまりにも眠ってしまい、またおかしな夢も細切れに見ていた。何故か、ブルース・リーというか、ブルース・リーの話しが出てきていた。同じように空手で闘うというものだ。しかし少し違ったのは、場所はスーパーマーケットの駐車場の屋上だった。また相棒として闘っていたのはその時は確かに男だったのだが。
 その後、またその駐車場を徒歩で降りてくる途中に幾人かの敵がいたはずだが、それらを通過してきていて、地上の道を歩いてる時は、何故か別の女と歩いていて、ブルースリーの話しを懇々としていた、と言うわけだ。

 その後、何故か(これも夢の話だが)、病院に入院していた。これだけならまあ普通なのかもしれないが、入院患者なのにどういうわけか病院から出されてしまい、病院の浴衣のような寝巻きとサンダル履きの格好で、更に布団を担いで、移転先と紹介された病院まで歩いていくというものだった。
 その移転先の病院が怪しいので中々入る気にならず、更にはさっきの女が出てきて、わたしの体のことでなにか話かあるとか言ってきて、その話を聞こうとしている内に目が覚めた。

 今の所、油断大敵なのに、部屋の窓が二箇所とも開いていて、その冷気で何回か目を覚ましていたのだろう。そして窓を閉めて、更に足が冷たかったので、靴下を履いたりしてから、また眠り込んでしまった。

 起きてきてはいつも聴く、"Melody at night with you" のおかげで徐々に目を覚ましつつある。目を覚ましてカーテンを開けようと歩き回った時には、頭に血が回りすぎてフラフラしていたから、この一つ一つの音を追い掛けていく状態で随分と助かっている。随分と高い枕を使っていても何故か頭の方にばかり血が行ってるような感覚はどういうわけなんだろう。家自体が傾いてきたのだろうか。

 しかし起きてきてしばらく経つと、いつものような朝だと気付く。それにしても妙に印象に残る夢だったなぁ。歩いたことがあるようなないような所だったが。
 

2005年5月 7日

雨中の

 とりあえず日付も変わったことだし、ブログでも付けようかという気になっている。また一つ何かが増えた。
 まあそれは置いといて、今日は梅田辺りをブラブラ。というほど気楽でもなく、とあるケーブルを探して歩く。まずはヨドバシに行った。簡単にあるだろうな、と思っていたのになかった。一人目の店員はまあまあ丁寧に教えてくれたのに、二人目は機械的だった。ただ、大阪中央店が第四ビルかどこかにあると言う情報を得た。だからそこに向かう。
 午後の夕方少し前の時間帯には、その辺りはかなり雨が降っていた。よくよく考えれば地下街を経由していけばいいのだが、なんだか二番目の店員にガガガガッと言われたのが効いていて、歩道橋を通って地上を歩いた。
 第四ビルの周りを一周してグルグル回ったけどなかったので、そういえば宝石屋の前とか横とかゆーとったな、とか思い出して、しばらく辺りを歩く。ホーセキ屋は見付かった。並木越しに携帯屋も見えた。
 なんだかフラフラしながら歩いた。雨は激しくなってきた。歩きながら思ったのは、携帯の付属品なんて、近所のショップで取り寄せればいいのだ。そしたら送料なんて掛らないはずだから。
 まあ兎に角、その携帯屋に入った。係りの人はまたおかしいくらいにツッケンドンな対応だった。とりあえず千円ばかりを支払って、そそくさと店を後にした。
 濡れない道とか考えていて、お初天神通りを歩いた。随分は前にはかなりいた、いかがわしい店の勧誘は全くなかった。その通りの最後辺りにある小学校の近くではなにやらロケをしていた。梅田花月の前を通った。
 兎に角休む為に、またスタバーに行くことにしていた。道は分かっているはずなのに、何か意識がへんだったのか、遠回りをして、更に道を戻ってきて、やっと地下に降りる。
 ナビオからファイブまでってこんなに遠かったかな、とかおもいながら、地下街をギクシャク歩いた。
 建物にはやっと着いたが、空腹云々があり、コンビニを探すことにした。一階には不自然な日本語を喋る、白人か混血かの人がいた。
 「コンビニはどこですか」と訊いた。
 「ずっと奥の出口から出られて、右に曲がったところにあります」とその人は妙なアクセントで言った。
 なんだか、日本人しかも大阪人が、外国から出てきて幾ばくもない人に、大阪の道について訪ねているのが、自分のことながらおかしかった。
 
 コンビニでは、取り敢えずの空腹凌ぎになるような菓子パンといつものクッキーとを買った。締めて百九十円なり。また建物に戻り、今度はエレベータで七階まで。
 一階をエスカレータで降りて、ベンチのようなものに腰掛けて兎に角さっきの菓子パンを食べた。妙にひもじい気もした。持参したクーラーボックスに入れた水をグビグビと飲んだ。
 また八階に戻り、ようやくスタバへ。空席を何とか見つける。一つの椅子がどこかで使われてるようで、その為に空席になってるようだった。鞄をテーブルの上に置いて、取り合えずそこを確保する。
 財布とさっき買ったケーブルの箱だけをもって、先にトイレに向かう。矢印がややこしくて間違って女子の方に入り掛けるが、慌てて戻り男子の方へ。幸い誰にも鉢合わせなかった。ずっと昔、五、六年前にナンバシティーで一回間違え掛けたことがあって、その時は通路で鉢合わせて、かなりやばい思いをしたことがある。
 兎にも角にもトイレを済ますと、スタバーのレジに向かう。ホットコーヒーを頼む。店員は比較的いい人っぽくて気分がちょっとましになる。やっと席に着く。ごくりと最初の一口を飲んで気持ちがようやく落ち着いた。
 しかし気になることもあった。テーブルの位置が一番外側だった為に、音楽がほとんど聴こえてこないのだ。仕方なしに持ち込んだCDをヘッドフォンで聴いていた。

 外側の席では、仮にその場所が八階で建物の中でも、段々と時間が経つに連れて寒さが増してきていた。本を読んだりしながらも、何度か立ち上がって、空席を探していた。
 しばらくして、存在自体がビミョーな、四十絡みのカップルが、レジの直ぐ外側で立っていた。夫婦ではなくて、なにやら恋人同士のようなのだ。間柄はともかく、女の方は七十年代のグラビアアイドルをそのまま老けさせたような、独特の古臭さがあった。男の方は何だろうか、髭を蓄えてゲージュツカ気取りとでもいうか。
 彼女等(あえて女の方が主役っぽかったので彼等ではなく)は、空席を探してるようだったが、なかなか見付かりそうもない。
 わたしは文庫本のページに視線を落としつつ、彼等の方をチラホラと見ていた。また思った。少なくとも四十絡みの人達は、何もスタバーに来てまで若者の真似事をする必要もないのでは?カフェでも、もうちょっとコーキューカンの漂う、ホテルや高層ビルの最上階とかにあるような場所にでもいってくれよ、とでも言いたくなる。
 やがて彼等は立ち席を見つけたようで、立て壁の向こうに行ってしまった。
 
 そういうあいだにも、身体の冷え具合は増してきてたし、また音楽も折角の店内のものを聴ききたかった。やっとのことで丁度いい席が空いたようだ。慌てて鞄を持っていき、椅子の上に置いてその場所を確保した。それから本やらコーヒーカップやらも移動した。
 革張りのソファに座り、何とかなった。硬い椅子に座り続けていたので、身体が休まる気がした。店のかなり内側だったのでかなり暖かだった。残り少なくなってきていたコーヒーをグビッと飲んだ。
 音楽はなぜかヴォリュームを絞ってあるようだった。仕方なしまたヘッドフォンを着ける。周りの人達の話し声はより聞こえてきた。

 しばらくして、長身の若い女の二人連れがやってきて、隣の席にどかっと座った。話し声がよく通る感じだった。それに店の音楽がちゃんと掛るようだったので、わたしはようやくヘッドフォンを外した。
 その女等の話は全く男の方に傾いていた。背の高い人というのは、多少の男なら対等のように見えるからか、異性に対していろいろな事柄が積極的なのかも。
「彼氏はいても、なかなかいつも誘惑とかに負けへんとは限らん」とか。
「とりあえずやってみたら、その一線だけじゃないけど、やっぱり区切り」とか、よく分からない物々しい会話が聞こえては消えてゆく。
 反対側の隣では高校生くらいの若いカップルがいて、サッカーの話とか健康的な話しが聞こえてきた。
 「おれ、股抜きって得意やで」
 「へー、どんなん」
 「ディフェンス引き付けといて、よそ見してる振りしてエイって相手の足と足の間にボール転がすねん」
 とかそんな感じだった。

 その日、わたしは九時頃には帰宅する必要があったので、なにやらいい感じの場所ではあったが、携帯の時計を見つつ、リーディングも区切りのいい所で終了した。何か忘れたりしないように、テーブルや椅子を丹念に調べたりしてから家路に着いた。

2005年5月 6日

場所

 あれれ、どうしてこういう風になっちゃったんだろう。と思いつつの朝でした。昨日はデーゲームの中継をフルで見ていたりしたけど、やっぱり長時間の視聴はよくない。全体を見るんだったら球場へ、といった感じだ。
 
 よくない、と思うことは、多少は連続している。自分にとって大切だと思ってる場所が、嫌~な人達に占拠されてしまっていることなど。しかしそれも何とか連休だから、と思いたい。これさえ終われば、それらの人達もきっとどこかへ行ってしまうに相違ないのだ。

 沢山眠ってしまったけど、もうすっかり朝になってる。昨夜は仮眠だからとかそういうことも考えずに、ちょっと眠いので、という感覚で寝てしまった。
 それでもその分、今日は朝からどこへでも行けるが。携帯とパソコンとを繋ぐケーブルを買いに行こうとしているのだ。携帯で撮った写真をネットワークを経由させずに直接パソコンに取り込みたい。パケ代とか気になるしね。

 でも、睡眠とか睡眠時間とかって、なかなかコントロールできないもんだね。ちょっと眠いからって横になって気がつけば朝になってるなんて。

2005年5月 4日

そろそろいくでー

 こういう日は早々とカキコしてしまうべきだ。パソコンの調子が目茶おかしい。一昔前、手書きで原稿用紙に文章を書いていた時のような錯覚がある。消しゴムでおかしな表現を何度も消しては書き直していた。そしてイライラして激しく消すと、紙自体がピリッと破れたりしていた。
 とりあえず、やってられないので、ブラウザを一旦落としてブラウザだけ再起動した。あれよという間に、パフォーマンスが上がった。最近、ブラウザ(ファイアーフォックス)の調子がちょっとよくない。余りにも機能を詰め込みすぎた。
 
 今宵は調子がよかったのかわるかったのかよく分からない。最近、簿記か何かの計算をカフェで電卓を使ってしている人をよく見かける。アリャアー駄目だ、とか思ってしまう。一昔前に電卓が出てきた時に算盤を使い続けていた人みたいだ。そろばんならまだ色々な価値があると思うが・・・。表計算ソフトが出てきた今、電卓でノートにバリバリ貼り付けたレシートとかで手書きとかで伝票の計算なんてなー。
 
 とまあ、つまらない方角へのつまらないご意見番のようなことをつらつら。でも、中途半端な近代化に固執してしまった人達の成れの果て、みたいなのがあちらこちらにちらほら見えてくるから。それが自分の中にも、奇妙奇天烈な苛立ちを齎すから。
 でも、もう少し。すれば、いやもう既にあちこちで、コンピュータは人間に合わさって調和しようとしてきている。それが、ソフトウェアの役割だ。ソフトは人間が作り出すもので、それは機械を人間に木目細かくフィットさせていくためという。機械そのままだった時は、人間がとてつもないトレーニングをして、それを使いこなす為に自身すら改造してしまっていた。
 そういう人はきっと"デンタク"の範囲から抜け出ることができない。電卓を縦横無尽に使いこなすことに嬉々としてしまってるから。
 
 もういいや。今日はきっと、そんな詰まらない人達のバシバシバシバシのデンタク叩きの音や、更により詰まらない、どこか誰かのぐちぐちした話しが、耳から侵入してきたからかなぁ。

 
 楽しかったこともある。阪神タイガースが勝ちました。六対一はまあまあの快勝だ。前半をラジオで聞いていた。ラジオってほとんど聞かないけど、野球中継だけは別だな。特にあのシンプルなラッパの応援の音がいいなぁ。打者によって決まっていて、短いフレーズのリフレインだしな。まあ、カットバセーなんとか!、は別にえーけどな。
 でも、ラジオの野球解説者ってテレビよりええ加減でええねんな。それがまたおもろいところやな。今日は仲田幸司氏という懐かしいOBやったなぁ。でも、声だけで分かるなんて俺もスゴイなぁ。
 勝ってる試合って、大概おもろいねんけどな。ただ、巨人戦とかで、解説陣が巨人サイドのOBだけで固めてる時とかはちょっとあかんな。
 
 あ、あと言うとかな思たんは、昨日の試合の九回の代打町田の大ファールについて。あれはやっぱりホームランやでー。

2005年5月 3日

よっしゃ

 こういう日はさっさとブログを付けて、寝てしまうに限る。十二時過ぎでもう眠たい。明日はどう見ても沢山の時間はありそうにない。休日で図書館も五時で閉まるとかいうのもある。
 今日は駐車場で四百円も取られた。トホホ。しかし都心部からより遠い場所なのに、より高いというのはどういうことだ。多分近隣にコインパーキングがあまりないので、そんだけふんだくるのだろう。
 スタバーで過ごせた二時間はまあまあ貴重だったが。でも、次回からはその駅のものは使わんだろうな。
 帰り掛けに、ロータリーとかの空いた場所に車を停めて続きのリーディング。車内灯だけではどうも暗くて目がしょぼしょぼしてくる。何にせよそこから直ぐに帰宅。でも中々家に入る気がしない。また今度は家の前で車の中で、街頭の光と車内灯を頼りに、続きを読んだ。まあまあ頭に入る。
 だから、結局は、少し明るい駐車場で、車内でお勉強などもいいだろう。意外と集中できたりもする。早目に閉まるスタバーでも、駐車場がただなら、その方がよい。駐車場代は二百円を超えて使いたくはない。
 
 話しは若干くどくなった。ただ、ついでに。帰宅後、ちょっとTVのスイッチを入れてチャンネルを切り替えていたら、その余りのチャンネルの少なさにおののいた。今ではビデオなどの動画を見れるネットの番組が増えてきてるので、そのチャンネルの少なさは滅茶苦茶奇異に映る。
 まああんまりどうでもいいが。すこし腹が減っていたので、小さいお菓子があったのでそれを食った。後はインスタントコーヒーでも入れて自室に上がった。
 時間はまあこんなもんだろうという時刻だ。涼しいのでよく眠れそうだ。

2005年5月 2日

ほんま頼むわ~

 取り合えず、予定通り目が覚めてきた。夜、余りに眠かったので一旦眠ろうとしていたが、その時にカーテンを大きめに開けておいたのだ。まだ夜中だけど、外からの色々な家の明かりや、街灯などの光で、結構眩しかったりもする。そんなことで、カーテンが開いてるといつも数時間で目覚めたりするのを逆に利用したりするのだ。
 前は、余りにも眠い時でも、眠る前に何とかブログを掛けたりしていたのだが、今はもうなかなかできない。かと言って、起きて直ぐにはなかなかだ。だから仮眠の後とかがいい。

 昨日は久し振りに雨が降って、水入りといった感じだ。お陰で、一本調子に暑くなってくるような様子から、小休止に入っていて、気休めにはなっている。三寒四温というのから、三温四暑(?)のようになってくるのかもしれない。
 昨夜はスタバァーで粘れたのはよかったが、またまたよく分からないことが次々と噴出してきた。あんまり書きたくないが、ジャバスクリプトや、JSPとServletの関連とか。読んでた本がごつ過ぎて、どこまで読んでも中々終わらへんやんけ~。

 昨晩は久し振りに外食だが、駅前のヨシギュウで済ませた。ギュウではなくてブタだったが。その後スタババに移動、予定していた通り、抹茶フラペチーノを食べ始める。美味いのはいいが、小説とかそんなのを読んでる時はそれでいい。しかーし、コンピュータ関連の書籍とかそんなんは、読み進めるのにはやはーりカフェインの世話とかにならにゃやってられまへんのや。こういった無味乾燥かつ詰め込み教育型書籍は、本来なら読まへん人なのかもな。
 で、まあこれも半分は予定通り、本日のコーヒーを頼んだりしていた。そんなこんなで、都合三時間近くはそこで粘っていた。途中コーヒーフレッシュを入れるふりをして食べたりしていた。
 夕方に、公共施設で見たパソコンでは、ネット上の映像がなぜか映らなかった。だけどどうしても見たいネット番組があって、帰るきっかけになった。


 しかしどないやこないやゆーても、阪神タイガース四連敗や。普段は負けゲームの時は感想なんてないんやけども、ここいらでカツ入れとかなあかん思てな。
まあ、ここんとこ応援とかさぼっとった俺もわるいんやけどな。
 これで貯金も完全に吐き出して五割。広島にもヤクルトにも追い抜かれて四位や。結局去年と実力はほとんど変わってヘンということかもな。去年も四月五月六月と、ずーっと五割やったけどな。おまけにオリンピックで八月に山来ると岡田監督はゆーとったけれども谷来たしな。
 今日五月二日はばーちゃんの九十九回目の誕生日やったりするんや。で野球の試合は珍しくないみたいやけど、案定休養して、明日からの広島戦は頼むでしかしー。

2005年5月 1日

寒いとかそういうのは嘘

 連休とかそういうのはいいことなのだろうが、寝てばかりいると段々、一日の起点とかそういうのがよくわからなくなる。朝食とか夕食とかそんなのすら、食べる時刻もばらばらで、夜の三時に起きてきて晩御飯を食べたりしていた。そしてなぜかまた眠くなってしまい、眠っていた。その間、一度か二度、目を覚ました。おかしな夢をその度に見た。夢の中で何か必死になっていたが、それはなんだったのだろう。また、普段の夢と違い、浅過ぎて、起きる度に直ぐに忘れてしまう。
 暑くて沢山汗を掻いていた。夏日云々というのが続いたらしいが、そういうのよりも先に、梅雨というのがやってくるのだろう。湿度の高さはそのせいだ。ちょっと前まで乾燥し切っていたのが嘘みたいだ。
 去年の今頃はまだまだこのブログはつけていなかったので、参考になる資料がないけど。だけど、こうして付けておけば、来年以降、その日々という日々を自分はどのようにして乗り切ってきたのかというのがわかれば、大いに参考になるのだろう。また、知り合った人のブログとかの文も関連していて、よりよく色んなことが分かってくる気がする。
 それでも、去年の夏場(八月頃)の資料は役に立ちそうだ。そういえば、よく、抹茶フラペチーノ、を毎日のように食べに行っていた。もうホットコーヒーの時期ではないだろうという時、どこにも行く場所がないかといえばそうでもないのだ。よく読み返して、この暑さをどのようにして乗り切ったか、そこは十分に参考になりそう。